白衣の天使は存在しない
訪問看護なんて、したくなかった。
人が死ぬのが怖いからだ。
目の見えないじいちゃん「なおちゃんは先生よりよく見てくれる なおちゃんにずっと来て欲しい 嫁になってほしい なおちゃん、次はいつ来てくれるの わしのわるいところはどこ? なおちゃんの連絡先を教えて …云々」
(このじいちゃんに関してはもう妻と笑ってる)
退院後車椅子生活になった、末期がんのじいちゃん「ありがとうな 気張らずに元気でね」
(人の心配をする前に自分の体調に気遣えよと涙が出そうになった)
家族「全然起きないんです」わたし「じいちゃーん!」じいちゃん「(目を開けてうなずく)」
(男はいつまでたっても男なのだ)
わたしの第二のおばあちゃん「そんな気張らんでもええ あんたが大変なんは今まで50年間この病院を見てきてよう分かってる まけたらあかんで 」
(見透かされすぎてばーちゃんちに監視カメラがあるのか?って話までされる)
うつ状態だったおばあちゃん「あなたが来るのを待っていたの」
(笑った顔に泣きそうになった)
ケアマネ「武元看護師」
(武田ですけど)
手探りで始めた訪問看護
今ではすっかり優しい患者さんに囲まれて、どっちが看護されてるのか分からなくなってきた
優しい人に囲まれて、情も湧いてくる
これが私の欠点なのだ
病棟にいる時、末期がんの頑固なじいちゃんがいた。
症状を聞いても答えない、薬も飲まない。部屋から出てこない。
受け持ちだった。
入浴も「風呂じゃなきゃ嫌」
退院も「したくない」
本当に困った。退院出来る時にしないと帰れないよと。師長には退院を言われるけれど、本人にはかたくなに拒否され、挟まれてしまった。緩和ケアの師長に午前中ずっと泣きついたのを今でも覚えている。
でもめげずに部屋に通い続けた。風呂に入りたいなら、足浴をしよう。どんなに忙しい時でも、毎日こっそり足浴をした。そしたらじいちゃんはポツリと言った。
「わしの家は段差が多い。家族に迷惑かけたくない。」
そんな理由を聞けると思ってなかった。
そこからじいちゃんと私は少しずつ話すようになった。
じいちゃんは牛乳が好きで、2人で売店に抜け出したり、外に出たりしてわずかな時間を楽しんだ。
でも、病気には勝てなかった。
弱って何も食べなくなったじいちゃん。
本当に何も口に入れなくなってしまった。
私が夜勤で、好きだった牛乳を渡すと、数口飲んだ。それが最後だった。
夜勤最後のラウンドが終わって落ち着いた時に、じいちゃんのモニターは0になった。
プロとして失格だと思った。馬鹿みたいに泣いた。
わたしはそれから胃痛に悩まされとうとう食事が入らず胃潰瘍になった🙄燃え尽きたように何も出来なくなって、休職した。
復帰してからもわたしの「おかあさん」のような存在だった患者さんが亡くなった。
私にはもう看取りは出来ないと思った。
自分が、死を受け入れられないから。
今は、情を持てば終わりだと思ってる。
訪問看護というずっと関わらなければいけない仕事だからこそ、とても難しい。
って思った矢先だ。
なんと妹ががん末期で頑固なばあちゃんに好かれ、家族からも依頼され、残された時間を妹に託しているというのだ。
馬鹿か、と。
今は可愛いおばあちゃんかもしれない。
大切に思ってくれる人は大切にしたいものだ。
けれど、いつか別れは来る。
わたしは、妹に思わず口を出してしまった。
でも、母親は「いいの」と。
あんたらはな、そうやって情を持って接することが出来る。長い入院生活で、心の支えになる人がいるってどんなに助かることか。それは
あんたらにしかできない、と。
白衣の「天使」なんか存在しないのだ。
もしも白衣の天使という「純白で聖なる存在がいるならば、その天使は今日「トリックオアトリート?」なんていいながらナース服を着て、今宵の街を歩いているだろう。
努力が実ってやっとわたし、常勤(正職員)になりました。
ハッピーハロウィン。
2017.10.31 さち