3年と少し
この日記を見て、看護師を頑張っていた自分を思い出した
コロナで大変な世の中、私は医療職をしていない
2019年になって、抱えきれない業務量と、本当にこいつさえ居なければ、という上司に圧をかけられすぎ、抗うつ剤、睡眠薬を服用しまくっていたが、もう耐えられなくなり、午後からの訪問を全て投げ、私は「もうやめます」の一言で逃げた
何度も引き止められ、上司からも電話があったが、「あなたが今までなぜ部下がすぐ辞めたか分かりますか」というと黙ったのだ
私は2年間ずっと上司から、ヒステリックにも受け取れるパワハラを受けていた 本当に酷かった 今まで人は沢山辞めていった 患者さんがいなかったら本当に続けられなかった
患者さんだけが心の支えで、そして、その患者さんを見捨てるという形で急に退職したのは本当に若かったと思うし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ
でも、本当に本当に耐えられなかった
当時の私の体重は33キロしかなかった
地獄だ
半年ほど家を離れ別の地で生活し、知らない世界を知って、家に帰ってきてからは事務の仕事に落ち、そのまま昔からアルバイトしていた(学生の時と、病院と掛け持ちしてた)パチ屋に「雇ってください」とアポ無し突撃した
本当に馬鹿だなあ
元々慣れてた仕事内容だったし、訪問看護で負った首と腕の負傷によりカウンター業務のみさせてもらえるという、本当に給料泥棒である
なんだかんだで、職場の人間なんて興味がなかったけどご縁がありお付き合いさせてもらい、今じゃもう一緒に家を出て、一緒に住んでいる
何があるか、人生分からないなあ
看護師はもう、したくない 命にかかわらない仕事って凄く気分が楽 そして、憧れだったネイルもしてもらった 全てから開放された気分だった
コロナで医療が大変で、看護師は本当に頑張ってると思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、私は本当に、人の命に関わることは、もうできない
ブランクが怖いけど、きっと、大丈夫
世界が平和になりますように
白衣の天使は存在しない
訪問看護なんて、したくなかった。
人が死ぬのが怖いからだ。
目の見えないじいちゃん「なおちゃんは先生よりよく見てくれる なおちゃんにずっと来て欲しい 嫁になってほしい なおちゃん、次はいつ来てくれるの わしのわるいところはどこ? なおちゃんの連絡先を教えて …云々」
(このじいちゃんに関してはもう妻と笑ってる)
退院後車椅子生活になった、末期がんのじいちゃん「ありがとうな 気張らずに元気でね」
(人の心配をする前に自分の体調に気遣えよと涙が出そうになった)
家族「全然起きないんです」わたし「じいちゃーん!」じいちゃん「(目を開けてうなずく)」
(男はいつまでたっても男なのだ)
わたしの第二のおばあちゃん「そんな気張らんでもええ あんたが大変なんは今まで50年間この病院を見てきてよう分かってる まけたらあかんで 」
(見透かされすぎてばーちゃんちに監視カメラがあるのか?って話までされる)
うつ状態だったおばあちゃん「あなたが来るのを待っていたの」
(笑った顔に泣きそうになった)
ケアマネ「武元看護師」
(武田ですけど)
手探りで始めた訪問看護
今ではすっかり優しい患者さんに囲まれて、どっちが看護されてるのか分からなくなってきた
優しい人に囲まれて、情も湧いてくる
これが私の欠点なのだ
病棟にいる時、末期がんの頑固なじいちゃんがいた。
症状を聞いても答えない、薬も飲まない。部屋から出てこない。
受け持ちだった。
入浴も「風呂じゃなきゃ嫌」
退院も「したくない」
本当に困った。退院出来る時にしないと帰れないよと。師長には退院を言われるけれど、本人にはかたくなに拒否され、挟まれてしまった。緩和ケアの師長に午前中ずっと泣きついたのを今でも覚えている。
でもめげずに部屋に通い続けた。風呂に入りたいなら、足浴をしよう。どんなに忙しい時でも、毎日こっそり足浴をした。そしたらじいちゃんはポツリと言った。
「わしの家は段差が多い。家族に迷惑かけたくない。」
そんな理由を聞けると思ってなかった。
そこからじいちゃんと私は少しずつ話すようになった。
じいちゃんは牛乳が好きで、2人で売店に抜け出したり、外に出たりしてわずかな時間を楽しんだ。
でも、病気には勝てなかった。
弱って何も食べなくなったじいちゃん。
本当に何も口に入れなくなってしまった。
私が夜勤で、好きだった牛乳を渡すと、数口飲んだ。それが最後だった。
夜勤最後のラウンドが終わって落ち着いた時に、じいちゃんのモニターは0になった。
プロとして失格だと思った。馬鹿みたいに泣いた。
わたしはそれから胃痛に悩まされとうとう食事が入らず胃潰瘍になった🙄燃え尽きたように何も出来なくなって、休職した。
復帰してからもわたしの「おかあさん」のような存在だった患者さんが亡くなった。
私にはもう看取りは出来ないと思った。
自分が、死を受け入れられないから。
今は、情を持てば終わりだと思ってる。
訪問看護というずっと関わらなければいけない仕事だからこそ、とても難しい。
って思った矢先だ。
なんと妹ががん末期で頑固なばあちゃんに好かれ、家族からも依頼され、残された時間を妹に託しているというのだ。
馬鹿か、と。
今は可愛いおばあちゃんかもしれない。
大切に思ってくれる人は大切にしたいものだ。
けれど、いつか別れは来る。
わたしは、妹に思わず口を出してしまった。
でも、母親は「いいの」と。
あんたらはな、そうやって情を持って接することが出来る。長い入院生活で、心の支えになる人がいるってどんなに助かることか。それは
あんたらにしかできない、と。
白衣の「天使」なんか存在しないのだ。
もしも白衣の天使という「純白で聖なる存在がいるならば、その天使は今日「トリックオアトリート?」なんていいながらナース服を着て、今宵の街を歩いているだろう。
努力が実ってやっとわたし、常勤(正職員)になりました。
ハッピーハロウィン。
2017.10.31 さち
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去年の記事を見直して
ああ、本当に辛かったんだなあと実感しました
あれから私は健診センターで働いて激務と持病の悪化で半年でやめてしまいました
主治医の勧めで、その先生と共に個人のクリニックで治療を受けながら働きつつパチンコ屋に復帰し朝は白衣を纏い、夜は黒いベストにミニスカートで働いてました。
いい加減社会保険をもって働こうと思ってクリニックの勤務時間を長くしてもらったら今度は(私の意思はなく)訪問看護師に何故かなってしまって、日々を凌いでおります。
1年ってあっという間だし、何があるかわからないですね。
つらいことばかりだけど、何で看護師をやめないのかなあ。
看護師である自分が嫌いなのに、何だかんだ4年目に突入するあたり、縁があるんでしょうね
訪問看護も、大変だけど病院と違って勉強になる
寝たきりで、目の見えないおじいちゃんがいる。
右も左もわからず、ただ言われた通りにおじいちゃんのリハビリを続けてきた
そしたら、最近ね
「なおちゃんは どんな人?わしは目が見えないから分からない。でもなおちゃんが好き。なおちゃんお嫁にきてくれ。」
って言うの。
泣きそうになった。
おじいちゃんの瞳には、どんな「なおちゃん」が見えてるんだろう。
看護師も、訪問看護も、全然自分には向いてない。なにをしてもうまくいかない。悔しい。けれど、私が行動を起こすことで喜んでくれる人がいる。なんて幸せなことなんだろう。看護師だからこそ味わえる幸福感で、これがまたやみつきになっちゃうのね。おそろしい。
週二回訪問する、認知症で短期記憶障害のあるおばあちゃんが「なんだかね さみしいの 帰らないで」って手を握った
病院で受け持ちだった患者さんに出会って「お久しぶりです」って言ったら、あの時はありがとうって涙して話されたこと
昔があるから今がある
何もかも無駄じゃないんだよ
たくさん泣いた
色んなことがあった
今も辛いことたくさんある
でも、まだこうやって看護師としてはたらいてスタッフや患者さんに恵まれて
これってとても幸せなことなんじゃないかなって思えるようになった
やっと、ね。
今の私は、頑張ってるよ。
未来の私へ。
♭
励ます言葉じゃなくて
自分を許してくれるような言葉が好きです
「すこしさぼったっていいよ…」
あ、そうなんだ
気軽に頑張ろう、って思える
私今まで最強のオタクだったから
ダラダラ好きなことして生きてきたけど
入職して2年半、半年前に復帰してからは特に
自分の気の持ちようだけではどうにもならないことが多くなって
最近は老けたね、笑顔も言葉も嘘くさいしやめてほしい、メンヘラ、とさらに言われるようになって…
悪かったな🙄
あなたのために生きている訳では無いと声を大にして叫びたかった
とにかく最近は息が苦しくて耳も聞こえなくて
気分転換しようと外に出てもしんどくてすぐ帰ってしまうし
大好きな音楽も、♭がついたように(半音下がって)聴こえる上にとても耳に響いたり不協和音になるので余計にストレスになる
1番怖いのはナースコール 元から電子音が苦手だったけど 周波数的なものか、あの音がダメだ
電池のなくなった目覚まし時計のように 音が狂って聴こえる 本当に不気味だし気持ち悪い
さてこの状況をどう打破するかが問題で、
いつまでもグダグダ言ってられないし
かと言って安定剤を飲み続けるわけにもいかない(眠気がやばい)
ストレスの発散してますか?とか、よく聞かれるけど
ストレスかどうかなんて知らないです
好きなことして生きてるのでそれなりに発散してます
ある日突然、自分が自分でないような、しんどくなんてなりたくないのに、心身の不調を来すのが本当につらい
ストレスの発散してますか?じゃないの
してる してます でもしんどくなる
じゃあどうしたらいいの?
何でこのようなことを言い出したかというと
誰に聞いて欲しいとか わかって欲しいとか そんなんじゃなくて
後で見返して「私クソメンヘラやんけ(笑)」って嘲笑いたいからです 弱ってた時期を見て、いつかしんどくなったときに、跳ね返せるように。
目が覚めたら元気になってますように。
さち